相対音感のお稽古しましょ!

わたしは3歳から5歳くらいまでのお子さんは、音感教育に適正な時期です。この時期はメキメキと音感が身につきますよ!と、いったコピー作って近隣の小さなお子さんに音楽のお稽古を考える皆様にアピールして、我スタジオラッキーキャットの功績を世に知らしめ教室の繁栄を図ろう画策したことがある。

だけど、このコピーはボツにした。

そんなの誇大広告よ。って、訳でもないのだけれど、わたしの経験値からすると何割がたかの子はメキメキ音感が身につく、だが、何割方かはもっと時間かかる。更に何割かはドレミ♪ハイ♬ドミソ♪ハイ♬やらなくても先天的音感(絶対音感でも相対音感でも)持ってるのだ。

だが、この文をチラシ、看板に載せるのはあんまりgoodとはいえない。これじゃキャッチコピーじゃなくて論文に近い。

そして、大昔のコピー。4歳からピアノを習えば全部の子に絶対音感が身につきます。この時期を逃せば音感は身につきません。というような、ホントだな?!あんな時代だったから許されたんだ。いまだったら訴えられて敗訴するわよ。

かく言うわたしはこのコピーで深く傷ついた。4歳から泣き泣き(T-T)ピアノ習わせられたあげくわたしはピアノで何処の音鳴らされても、ドかレか分からない。という音感のなさ。

あのコピーが大嘘なのか、それともわたしは余程鈍いのか?

結果から言うと、3歳4歳でピアノ習わせても絶対音感は身につきません。絶対音感型の人間というのは少数派で、相対音感型の子に絶対音感身につけさせたかったら絶対音感のための音感レッスンを受けるのです。

自然に身につく。としたら相対音感の方で、相対音感は基音に対して次の音が分かるアナログ型の音感のことで、これはお歌や簡易聴音、採譜のお稽古で人によっては素速く、人によってはノンビリ身についていきます。

わたしの母は相対音感が訓練受けなくてもありました。わたしの息子も相対音感がもとからあって、3歳で相対音感が身につき始めていました。

わたしだけ元からの相対音感ないのですが、それに加えて4歳からのピアノのお稽古で音感の訓練どころか音感混乱させてしまったに違いないのです。

つまりはわたしの当時のピアノの先生とわたしの母は譜面見ろ譜面見ろ、とギャンギャン喚き、わたし恐れなして何が書いてあるんだからわからない。更にはダサいイラストにうんざりしながら楽譜見て、ほれそこが間違えた。譜面なんて書いてあるの??!(知らないよ💢)ちゃんと見なさい。(見てもわかんないよ💢)と、このようにいじめられ、おかげさまで手を見ないでピアノを弾く事は達者になりましたが、少しはこのメロディーはこんな風なのよ。歌ってみて、聞いてみた通りに弾いてごらん(#^.^#)くらいの指導してくれりゃ、なにも子供のためのソルフェージュで音当てしなくても相対音感が身についてきたものを(T-T)(恨むからな😾)

更に、読譜の練習といって先生が書いた音符読まされたですが、これまた読譜のためには役だったのかもしれないけれど、例えば5線譜にドミソと書いてある。わたしドミソと読む(わたしは読譜のほうが苦労していない。)そこまではいい。だが、ドミソであってても音高を平気でドレミで歌っててハイ♬良く出来ましたパチパチ!良く出来てない。読みは合ってるが音高は間違ってる。ちゃんと正しい音の高さで歌わせなきゃ音感が混乱する。このようにして、わたしの音感は混乱しまくりました。嗚呼、ピアノレッスン暗黒時代。

音感は6歳がタイムリミットでそれ以降頑張っても無理だよ。ってのも、そんなことはありません。更には困ったことに音感無くてもピアノは弾けるようになりました。

だいたい音感のなさにわたしが気づいたの14歳にもなってからで、そこから正規のというか真面なソルフェージュ教育受けたおかげで混乱の修正と相対音感の育成はなんとかなりました。

今は昔と違って聴音や視唱の独習用CDというモノが販売されています。かつてのようにどうしても聴音の練習には人手借りなければならないのとは違って便利な世の中です。


ただ、わたしは使ったことはありません。

このような音大受験向けの教材はとにかく、5線ノートにピアノで弾いた音符を書いていく聴音、例えばチューリップみたいなお歌を咲いた~♬ではなくてドレミで歌っていくといったレッスン。これ、音感ある人はこれくらい出来りゃもう音大受験レベル(たぶん)だからそろそろヤメにしてピアノに専念してもいいよ。っても、聴音のレッスンしたい。と申し出てくれるのです。つまりは出来るから楽しい。

でも、6歳のタイムリミット、次は8歳のリミットでも「どーもねー。今ひとつ今ふたつ。」な方でも、これ週に1回続けているうちに、アラ不思議分かるようになった。時間はかかってもちゃんと学習の効果は出るもんだ。と、ほくそ笑む日が来るのです。

絶対音感のほうはレッスンの仕方が違うのでなんとも言えないし、わたしは原則絶対音感のレッスンはしていないのですが、相対音感はしなくっても分かる人は分かる。音がなってるのは分かるけどピアノのどの音だかわからない子でも悲観するのはやめましょう。中年や老人にはタイムリミットあるのかもしれないけれど、子供や若い人ならば必ずや、ドがドに、ドミソミドがちゃんとドミソミドに聞える日が来るのです。

練習してくる生徒~ソルフェージュレッスンのこと

これまた今となっては、大昔昭和のことだけれど、

「昔のピアノの先生って(この会話してた段階でまだ昭和だった。)30分も(これはヤマハカワイの大きな経営母体の教室標準)みてくれなかったよね。15分くらいでそれも、練習していかないと、怒って口きいてくれなくて本をパタと閉じて、それじゃまた来週ね。で帰されたよ。」

なによ。練習していかなかったらレッスン時間1分で終わったの?そりゃ、双方楽でいいわ。

このような昔懐かしい昭和も第二次世界大戦が終わった後くらいの優雅なピアノレッスン、練習してこない生徒なんざみてやんないわ。練習してきたってチーチーパッパは稽古時間15分。

指を丸めて指の先で鍵盤つかんでね。肩の力抜いて、その音間違ってるわよ。リズムが変、も1度きちんと数えて弾いてみて、指使い悪いわね、先生の言うとおりにして、ホラ出来たじゃない。この曲は上がり、次見てきてね。

こんな感じか?!

今の優しいピアノの先生に師事している生徒さんたちの中にも、本当に真面目に練習してくる生徒というのはいるモノで、言われたとおりきちんと弾ける生徒に限って本当に入門初級のピアノレッスンは15分くらいで終わらせられるのです。

その何倍もの労力をピアノというのは黙々とマイピアノで練習する。というのが王道。

1曲何十秒の曲3,4曲練習してくる生徒と、1曲最初から最後まで弾くのに20分もかかる曲練習してくる生徒とレッスン時間が一緒なのはおかしい。と、いうのがかつて昔懐かしい昭和のピアノの先生の言い分でもあるのだろうな。

だが、練習してこないヤツは帰しちまう。方式ならば、練習してこない。じっとしてない。練習したくてもなにをどうしていいかわからない。生徒のレッスンに悩むこともなかっただろう。

ちゃんと練習してこない生徒以外は帰ってもうらう方式レッスン且つうちが教えるのはピアノだけ、ソルフェージュだの論理はどっかよそで勉強しておくれ。方式ならば、入門級の生徒のレッスンは15分で終わる。

しかるに1時間に4人ばかり投入出来る。こりゃ効率いいわ。

更にこの効率を高める方式はグループレッスンというモノで、これなら練習してくる真面目な生徒。全然練習してこない生徒。お歌やタンバリンのリズムうちを楽しみにしているだけの生徒。全部まとめて面倒見る。

グループレッスンの成果について散々聞かされたし、(そりゃ儲かるでしょうよ。)に対して、決して儲けるだけのためにグループレッスンするわけじゃない。の論理も散々聞かされました(でも儲かるんだよね。)が、これまた出来る人出来ない人がいる。わたしは出来ない。

練習してきてくれて、要点を注意して合格、次の曲を練習しましょう。なんと、正統派のピアノレッスンじゃないか!!そんな生徒の場合わたしは15分で終わりにするかっていうと、、。そんな筈ないじゃないよ。今は21世紀、平成さえもうぼちぼち終わる。ピアノレッスンとて進化しているのだ。

なにより、キッチリって感じで練習してくきてくれる生徒はピアノの上達は地道な練習に勝るモノはないので上手になる。そして、ソルフェージュつまり音感のレッスンや論理や読譜が丁寧に出来る。

ピアノ上手な人は音感いいんじゃないの?つて、事は全然ありません。昔よく言った、ピアノ習ってるうちに音感って自然に付くものさ。なんていうのは嘘です。先天的にとてつもなく音感がある人というのはいるのです。(悪い人もいます。)

そんな人は聞いただけで音符が全部わかって、ささっと弾いてしまう。なんてことはなく、ソルフェージュなんてやる必要無いんじゃないか?ってくらい音感あっても、「今週はピアノの本全部教室に忘れてったから練習出来るはずないじゃん!」て、開き直られて「ならば今ここで遅れを取り戻すのだ。」なので、レッスンていうより、しつこく宿題の曲を弾かせる。初級くらいだとそのうちなんとかカッコがついて、まぁいいか!これで来週は合格にするから練習してくるのだよ。

音高が分かったって指が動かなきゃピアノは弾けない。更に、音高がわかっても楽譜を理解してなきゃ採譜は出来ない。

ピアノの技術音楽性もさることながら、音感、論理、読譜も併せてレッスンしたいので、15分じゃラチはあかない。

ピアノレッスンだって進化する。

読譜と聴音の狭間で

わたしは読譜が出来る。
あんたピアノの先生なんだから当たり前だろうが!
そうです。当たり前なんですけれど、わたしは読譜なんざさほどの特技、技能でもなく楽譜をしつこく見てりゃある時、なんとなく、またはある時突如鮮明に解読してゆけるものさ。

と、タカをくくっていた。
なぜか?それはわたしがそうだったからだ。

音楽科の高校に入学したときだって、ここにいる高校生たちは全員音符玉オタマジャクシ追いの名人なのであろう。
更に言えば、わたし如きより、、。

確か隣の席に座る少女に「あなた譜読みが早いみたいね。わたしは読譜苦手で新しい曲もらうと譜読みするのにとても時間かかるのよ。」
とお褒めにあずかったときも、そりゃまぁ、初見の苦手な人だっているだろう。って、そんな言葉はスルーしてた。

その時期はここに書き切れないほどの克服すべき事象を抱えていたので自分の譜読み能力についての査定なんざ2の次3の次、優先順位からしたら100番目くらいにしか相当してなかった。

わたしは譜読みは早いし、楽譜の観念の理解も苦労しなかったし、当たり前にブラインドタッチは出来てた。

だが、困ったことに暗譜が出来ない。(今は出来ます。今でも苦手ですが。)音感なくて聴音の成績が惨憺たる有様。
もうこれだけで、ドカーンと落ち込む原因と結果には事欠かず、落ち込んだからってウツウツとした日々を過ごせば事態はよけい悪化することは目に見えていたので、泣きたい日々過ごし、実際に泣きつつもなんとか解決を図ろうと必死になった。

聴音については聴音なんざ1回聴けばたちどころに採譜してしまう少女になんで出来るのよ?
と、お伺いたてましたよ。

後から思えば、音感があって採譜が好きな人にはそもそもなんでわからないかわからないのだろうけれど、「慣れよ。」
とのこと、中学からここの学校にいて聴音の問題をさんざやったから慣れりゃ出来る。

これはある意味、真実。
その惨憺たる成績の聴音もわたしは高校を卒業する頃には平常成績まで上り詰めた。




その後、講師となって「幼少の生徒には音感訓練をいたしましょう。学齢期前というのは音感が身につくとても良い時期です。」
というポリシーの講習会を幾たびも受け。

これも半分くらいは当たり、幼少期適正な音感の訓練受けてりゃ14歳であんなに苦労することは無かったでしょう。
でも半分はハズレ、音感もいい人は訓練しなくてもいいのです。

だが、講師としての実践を積むと音感より何よりいつまでも譜読みの観念がわからない。及び曖昧。
な生徒に多々遭遇。そして「音感なんかより、譜読みのほうをなんとかしなきゃ。何のためにピアノ習いに来てるのよ。」
の意見(講師から)。

いや、聴いただけ弾けてしまうのはうらやましいし、暗譜が早いのもうらやましい。

だが、そうも言ってられない。というのは、すべてのピアノ曲を聴いて弾くのは不可能だ。
さらに、楽譜をあまり見ないで弾くというのはブラインドタッチが出来てない。出来ないと、目で音符玉を追いながら弾けないので間違いだらけでそれをいつまでもなおせない。

更に楽譜から作曲者の意図を読み取る。という作業がろくに見てないもの出来ないじゃないか!

そうか!それは困る。いつまでも先生が一緒に譜読みしてやるわけにもいかないねー。

つまりわたしと逆で、音感があって暗譜が早くだいたい聴いて弾けてしまうけどいつまでも読譜が出来ない。
タイプ。

大手から独り立ちして音楽教室主宰して読譜の観念をお勉強させるためにその名もセオリー、つまり理論をコミで学習させているが、何故か直感的に読譜が出来てしまう少年少女もいるが、譜表の観念がいつまでも怪しい。という子供もいる。(大人もだけど)

4分の4拍子、つまりは1小節に4分音符が4つ入る。が、理論としてはとにかく、聴音すると字余り、音符が足りない。が平気。

あるいはいつまでもドレミのフリガナをつけたがる。

わたしは今は初心者でも大譜表を使った聴音をやってるが、これはもちろん最初は音感のため。と信じていた。
だが、徐々にこれ読譜の訓練に最適なんじゃないか?と気づく。

文字だって書いて覚えるように音符だって実際に書いてみるのは、いい読譜の学習と信じている。
そもそも、幼少期には音感の訓練を!
と、いうのもなんだか平成の世になった頃からむなしくなった。

シャカリキにドレミファソーラファミッ、レッ、ドッ♩やらなくてもみんな音感いいのです。

それでは聴音のお稽古で読譜の苦手はバッチリ解消。
になるかというと、これまた、いい対処法にはなるけれど決定的ではない。

リトミックを取り入れたレッスンしてる先生がだいたい読譜は理系脳と連動していて、算数の得意な子は譜読みが上手だ。
と、話してくれたけれど、かといって算数の勉強に励めば読譜が上手になる。ってわけでもないと思うし、これの対処法はまずは1番は本人が読譜の苦手を克服しよう。

という気になってくれること、譜表の意味を理解しようと努力して、出来るだけフリガナをふらずに読むようにする。

そして、ここが大事なのは自分は譜読みに時間を要するタイプなので譜読み時間の調整を最初に考える。こと。
わたしはその逆で、暗譜に要する時間を多くとるように調整いたします。

ここで、わたしのところにくれば読譜が苦手なんてたちまち解決して差し上げますわ!
と、言えればいいんだけれど。残念!