わたしが持ってるレア物教則本。
ピアノ演奏基礎教本。
旧ソ連で行われてたピアノ教育システムの教科書。
音楽之友者出版ですが、絶版。古書市場ではびっくりするような値段で流通中。
結果からいうとこの本は全然使わなかったので教本としての使い勝手についてはわからない。
ただ、そんな高値で今取引されてるんなら、書き込みしたり名前書いたりしなきゃ良かった。
美品だったら売れただろう。
ちょうど欲しいと思ってたミネトンカのモカシンが買える値段で取引されてるのに残念だ。
この教科書、この本でどのように旧ソ連のお子様たちを教え導くかが、それはそれは丁重に解説してある。
そもそも最初の頃はその解説書のほうが多い。
まずは歌から入れて歌で覚えたらピアノを弾いて、、。
それは良いのだが、説明は長く言葉は抽象的、最初の方に大昔の音楽の教科書みたいな楽典の手引き、つまりは楽譜の見方が書いてある。
楽理はこれで済ませようってことか?
このピアノ演奏基礎教本、わたしがその頃既に慣れ親しんだお子様向け教本、幅の広い5線にドをいっぱい書いてみよう(^-^)
丸が上手に描けたら次はト音記号とヘ音記号を書くのに挑戦。
高い音のドを弾いてみよう。低い音のドは左側。以下省略。
つまりはこのようにかゆいところに手が届くような教授法教本とはなんとなく異質。
そろそろ自我に目覚めて、抽象的な論理に長けはじめ子供だましをバカにするお年頃。
中学生くらいならば丸ごとOKな気がするが、小学生の子供にこれかよ(悩む)
更には子供のための教則本であるにも関わらずイラストのひとつもないのは流石に旧ソ連。
優秀なるソ連のお子様たちは本当にこのような教科書で興味深くピアノのレッスンを受けるのか?
わたしはロシア式(もうロシアになっていた。)ピアノ教授法という講習会を受け実際に教授法のレッスンにも通った。
そこで習ったのは響きを大事にして、いい音を引き出す演奏法(高度だ。)それを教える。
肩の力の抜きかた、そして手をどの場面で固めるか、強拍と弱拍で指先の使い方を変えることで流れを生み出す。
教授法は素晴らしい。
それは素敵なのだが大きな疑問?
この教則本使わなきゃダメですか?ロシアの少年少女には馴染み深いロシア風子供の歌が出てきてるのはいいけれど、このようなロシアわらべうたは日本の童は知らぬ。
この質問に先生は「教則本はなんでもよろし。バイエルでもメトードローズでも、YAMAHAが出してるオルガンピアノの本、はたまたアメリカ式の(これはわたしが使ってる。)教本でも。大事なのは美しい響きを教えること。」
激しく納得。
だが、もうひとつの疑問。
ピアノのお稽古がかつてイミ嫌われた原因。
お稽古に通うには、宿題の曲を弾けるように練習しなければならない。(これがなかなかできなくて叱られて泣かされた。)
西側諸国の場合、子供をピアニストにしようという大志を抱いている保護者(普通母親)がいれば問題ない。
練習は親がみてくれる。
先生は「来週はこの曲とこの曲をレッスンするのでおさらいしてくるように、では、ご機嫌よう。」
で、生徒はママと一緒に懸命に練習してきてくれる。
だがな。東側である旧ソ連普通、共稼ぎだろうから親がそうそう子供のピアノに付き合ってくれるとは思えない。
この事象についてはわたしが質問しなくてもロシア式教授法の先生は教えてくれた。
やはり、東側はほとんど共稼ぎ(今は日本だってそれに近いけど。)なので親に譜読みは丸なげ出来ない。
だから、課題曲かなりのところまで弾けるようになるまで先生が教えるんです。
児童に、レッスン室で弾けなかったもの自前で練習しろ、ったって出来るもんでもない。
そうか(゜д゜)そうだったのか、練習の自立果たせるまではソ連の先生面倒みるのか!
これには続きがあって、、。
だから、先生生徒ともに懸命に稽古が始まるとそのレッスンは2時間にも及ぶことが、、、。
なな、なんだってΣ(´∀`;)ホントか??
そりゃ、まぁ、事情はかのロシアそして旧ソ連、やはり児童といえども選ばれた子供しかピアノは習わないのだろうか?
だが、残念この疑念は解明されぬまま、わたしは諸事情でロシア式教授法のレッスンには通えなくなった。
残念であった。