小1の壁を越えられなかったわたし
わたしが小1の壁に直面したのはもう30年も昔のこと、今とは社会の事情が違う。学童保育その他も充実している。だから、もう小1の壁なんぞは過去のことであろう!
と、タカ括っていたらなんと今でも小1の壁は存在していて、働く母親(もしくはお父さん)の前に立ちはだかっている。(昔比べりゃ遥かにマシとは思う。)
小1の壁の壁っていったって、音楽教室自分のうちでやってるんだから在宅勤務とかリモートワークとかが、メジャーになる前から在宅だったんだから、問題はないでしょうよ!
って、さんざ言われるんですがね。
中1ならば丸ごと問題ないことが、小1は問題だらけなのです。
だって、自分の子供が帰ってくる時間に仕事が始まるんですよ!いえ、もう学童保育にでも行っててくれるなら問題ないのですが、この場合面倒を見なければならないのは自前の子供ではなく、生徒となる。
保育園ならば、お迎えは夕方6時、ギリ17時代くらいまでは仕事を入れられた。19時始まりのレッスンでもいったん、保育園に迎えに行ってから家に帰ってから、レッスンしてもどうにかなった。これは、この時間はお父さんがもう帰宅している。ということもあったからだ。
その時期の苦悩は、ピアノが原因で病気になった!人生第二弾。第一回目は高校生の頃。
それじゃ、保育園時代のママ友みたいな人たちはどうしてたの?と、言ったって小学生の帰宅時間に合わせて本気モードで始まる仕事のほうが珍しい。そりゃ、ないことはない。
とにかく、わたしの小1の壁はレッスン開始時間と、子供の帰宅時間丸被りというのが途轍もないストレスで、、、壊れた。
当時の学童保育事情
わたしの座右の銘はAll or nothing働く以上は経済的自立を図りたい。その気持ちがあったから「おこずかいくらいになればいいと思って(o^―^o)ニコ」のノリでなく始めた。
だからこそ、子供だって幼稚園でなく保育園にしたのだ。これはわたしが幼稚園が大嫌いだったから、って、事情もあったけれど、それだけのことならば幼稚園や保育園は小学校とは違って義務ではない。
行かせなくったいいのだ。事実、うちの周りでも何人かの子供は幼稚園にも保育園にも行かなかった。
ならば、学童保育に行かせれば良かったのだが、30年近く以前だって学童保育はあった。だが、息子に「学童保育に行くか?」と尋ねたら「嫌だ!」の即答。
嫌なら行かなくていい。学童保育こそ義務ではないのだ。
そこで、当時の学童保育と、息子たち子供の情報について。
その頃の横浜市の学童保育事情決していいとは言えなかった。たいていはマンションの1室で、放課後の時間を親が迎えに来るまで過ごす。という、スタイルそれも小学校4年生まで。
そうか、それじゃうちの息子みたいに外で遊ぶのが好きな子供は不満であろう。で
、横浜って児童館みたいなのはないの?
わたしは東京都出身でわたしが子供の頃こそ、児童館なんてなかったのですがわたしが高校生になったころには、もしかしたらもっと早く、児童館なるものが学区の小学校近くにも駅の近くにも出来ていて、ちゃんと園庭付き指導員つきの建物で遊具で遊んだり、本読んだり季節のイベントがあったりで、そう放課後の子供の面倒をみてくれる。
それも公営。
あー、やっぱり東京はいい。それに比べて横浜には市営の児童館すらないじゃないか?いえ、そののち児童館に近いものは出来たのですが時すでに遅し。
やっぱり横浜は地方都市に過ぎない。真面目に家をたたんで東京に引っ越すことを考えようか?
だが、この考えはすぐに却下、当時うちの息子は少年野球にはまり始めた。横浜市中区のこの周辺は少年少女が、好きに球技の遊びもしくは練習をしていい(時として不可だけど)。広いグラウンド付きの公園がある。
うちから徒歩5秒のところには盲学校のグラウンドがあって、常時は使われていない。そこで、自転車、野球、サッカーの練習が出来る。
あのような子供にはとても良い環境。
性格の問題
在宅で仕事してて、仕事中に子供が帰ってきて学童保育嫌ってる。って、そんなにストレスか?
って、これ人によっては丸ごと問題なしで、かえって子供が定時に帰宅したときに居てやれるんだからいい仕事。的な人も大勢いますよ。
そんな、ノリならば勤めに出てるのと違って双方にいい関係なのです。
それじゃあ、なんでわたしもしくはうちの場合それが大変なストレスだったのかっていうと、性格の問題です。
性格ばかりは変えようがありません。
それで小1の壁を越えられなかったわたしは、ストレスから病気になり横浜中央病院通いをはじめ、子宮筋腫からくる貧血に苦しみ、仕事はどうしたかっていうと、病気になったからやめます。
って、宣言するだけの気迫もなく治療しながらやってやれないことはなかったので、新規募集をやめ、文字通り「おこずかいくらいになればいいと思って( ̄∇ ̄;)ハッハッハ」教室でしばらく、存続し、子供中学生高校生となりし後は、家の建て替え問題が勃発したのでそのタイミングで教室は自然消滅して立ち消えとなった。
なんで、それで済んだか?それは、その頃は教室存続しなくても生活は成り立ったからだ。
もし成り立たなかったら?病気だストレスだ。なんても言ってられないので速攻で病気は治療してもらって、子供には因果を含めて早朝からのパート、出来れば常勤の仕事を探すしかありません。
それじゃ、今は?ええ、おかげさまで今はやっと生徒30人弱の教室までに成長いたしました。息子は小学生ではなく、最早社会人で2023年4月現在は地方にいますが、うちに居れば教室を手伝ってくれたし、今だって発表会のMC役をやってくれています。
ああ、ありがたい(o^―^o)ニコ
現在の学童保育事情
わたしも息子もいまならば、小1の壁きっと乗り越えられました。
今や、学童クラブは30年前と違っていろんな方針の学童保育がいくらでもあるのです。
中には中学受験対応の学童保育まであって、最早昔の子育て世代のわたしとしてはホントかよ❓です。
だって、その昔30年前は学童保育は可哀そう。とか、4年生まで、とか、中学受験は無理。さらにはお母さんが働いていると小学校の受験すら無理。とか。
いい学童保育所が出来ていた!!
なかでも、息子の通っていた小学校の放課後キッズクラブ。ここなら学校の設備校庭も体育館も使える。
なのでとっくに成人した息子に尋ねた。
「学校に残る学童クラブならば入ったかい?」そしたら、それなら学童保育に行った。そうだ。
何故なら、1度帰宅して公園にも行ったが再び学校に戻って校庭で遊んでいたそうだ。だもの、1度家に帰る必要のない学童保育ならば歓迎。だと。
うー--ん、残念だ。あの頃そんな学童クラブがあれば、双方ストレス抱えることもなかった。たとえ、家の建て替えはさんだとしても、今頃、生徒1000人規模もの、いやそれは大分大げさだ。
でも、50人規模、もしかすると講師を雇って物件を借りての一人前の事業に発展していたかもしれない。
なんであの頃、なかったんだ!!
まとめ
小1の壁を越えられなかった。その原因は一つはわたしの性格、そして次は時代です。今やっと時代は、働くママに優しくなったのです。