わたしのレパートリーでもある「わたしを野球につれてって」が収録されてもいるこの楽譜。
当然ジャズスタンダートなので、ほぼ基本3和音で構成されているまだピアノが木枠で出来ていた古典派時代の曲とは違ってわたして的にはこの曲集の曲超キテレツなコードネームが付いている。
うちの教室は基本的なコードネームは教えている。
わたしが使ってる教材のバスティンベーシックスのセオリーにはオーグメントコード、ディミニッシュコードの解説と実践はあり。
この黄色い本がこのシリーズの最後の砦、和音の構造の仕組みが(ここまでやるのかい?!)というくらい解説出題されている。
したがって、組みとして使ってる。pianoのほうがとっとと終わってもセオリーの問題だけが残る。ということはおうおうにありうる。
ピアノ弾けたんだからいいじゃない。ということにはしないことにしている。
ピアノのほうを多少飛ばして上げてしまってもセオリーはしつこく、ブルクミュラーに入っても1問づつでも制覇させる。
一時音感教育、ソルフェージュ重視という考えがあって天性音感のないわたしは張り切ってこれは正しい!!
と、考えたのだがなんだか最近はこれが虚しくなってきた。
わたしが育った環境と今は時代が違う。
困ったことに(ソルフェージュ重視するには)今時の子供、若者はほっといても音感はいいのだ。
再生機器がない、もしくはひどくチンケだった時代は音楽を鑑賞するということはとても贅沢なことだった。
だが、今は端末に入力すれば好み、もしくは気になる音楽は聴こえてくる。
わたしが子供の頃、学校の音楽の時間に音楽教師がもったいぶってありがたくもいい音楽を聴かせてやる。学校には凄い再生機器があるのだ。
と、ドヤ顔してレコード盤に針落として、挙句、生徒どもの鑑賞態度が気に食わない。だから、おのれらなんかにはもう素晴らしい音楽は聴かせてやらないからな。
とキレられて、うんざりして(うちにだってステレオくらいあるわ。)と、心の中で毒づいた。
とこのような、ノスタルジックな思い出があるイヤな時代。
あの環境じゃわたしの音感が良くならなかった筈だわ。
オーケストラ曲のひとつやふたつ鳴らされたところで、ありがたがらせられたんだからたまったもんじゃなかったわよ。
そうよ。これは素質もあるけど環境の問題もあったのだ。あんな時代、わたしに負けず劣らず音感悪い輩は多かったに違いないのだ。
だもの、テクニックレッスンよりソルフェージュ、ソルフェージュとソルフェージュさまさま教育を啓蒙していたのだ。
誤解されると困るので言っときますが、わたしちゃんと子供のためのソルフェージュで音感レッスンはしております。
ですが、まぁ今時なんとなくやってりゃ、音感よくなってしまうことが多いのでかつてのようにマナジリ釣り上げて張り切ってはおりません。
だが、なんとなく良くなってしまわないのが楽典的事項。
音楽は楽しけりゃいいのだから楽しくない楽典は後回していいの!
とは、思いません。だいたい音を楽しむものが音楽、って認識が変じゃないか?
楽がついてりゃ楽しいなら、楽典は超楽しいことになる。
音楽が楽しくて楽典が楽しくない。というのは矛盾している。
音楽だって楽しいのばっかりじゃないじゃないか?これ相当な好みの問題があるから、その趣味がない人には平均律なんか聴いても退屈だと思っっても不思議じゃないし、だいたい平均律弾く方だって楽しいとばかり言ってられないよ。
好きな人にとっては血が騒ぐ、ノリがいい。って、音楽だって人によってはウルサイ!!って感じるだろう。
それにね。ここだけの話、セオリーよりツェルニーのほう楽しくない。って、子供多い。
とにかく、調性や和声、音楽の決まりごとはレッスンしたほうがいい。
ピアノが弾ける。って言っても楽譜の左上に4分音符イコール80って書いてあって、この意味が分からないんじゃ、文字通り意味ないでしょ。
で、話戻してコードネームのこと、わたしの教室のセオリーレッスンでは属七、増和音、減和音くらいまではそれはしつこく学習するのですが、ジャズスタンダードに出てくるようななんだこりゃ?!和音まではやっておりません。
そもそもクラシックの楽譜にはコードネームはついてないし、古典曲にはギョッとするようなコードはないのだから、これくらいで卒業(祝´∀`)ノ.+:。卒業おめでとーいたします。
だが知識として覚えとけば楽しい(´∀`*)
それにね。プロフェショナルユースの楽譜にはクラシック曲とはいえコードネームが付いてる場合があるのですよ。
ウェディングの場面やラウンジで弾くに相応しい曲が網羅されている曲集ですが、クラシック曲も多数収録されています。
G線上のアリアやパッヘルベルのカノン、月の光その他、全てコードネームが付いています。
これはポピュラーピアニストにとっては感覚的に解り易いのでしょうが、人によってはコードを見てその場でアレンジして弾いてしまうのです。
わたしにはとても真似の出来ない高等技術です。
そのように、コードについての講釈ですが、わたし音楽はⅠの和音。つまりハ長調ならばコードC、ヘ長調ならばF、変ホ長調ならばEフラットで終わる。
始まりは時に裏切ってⅠの和音で始まらぬこととてあるが、、。終りは、、。
この最初の方の曲集「華麗なるジャズスタンダード」ト長調でもGで終わってないのあるよ。
なんで終わってるか?Gadd9。
いえいえ、9ばかりじゃない。6とか11とか。何でしょうね?
6や11はここでは置いといて、add9は書いてあるとおり9を足すのです。
音を9個足すわけではありません。Gadd9のコードネームはGの和音つまり基本形はソシレ。その根音のソつまりはGから9番目の音を足し算します。
というか加えます。
Gから数えて9番目の音はラAを仲間に入れてやるのです。
待てよ。9番目は2番目といっしょじゃないよ?だったらadd2で良くないか?
そうですよね。そのほうが解り易いですよね。ですが、わたし的にadd2っていうコード見たことありません。
2より9のほうが縁起のいい数字だからかしら?いえ、そんなことはないと思います。きっと楽理上の理由があるはずです。
ですが、なぜ2でなく9なのかはわたしにはそこまで知識ありません。
では、終止の和音ソシレでなくソラシレで弾いてみましょう。
グンとお洒落でモダンな終止和音です。
ですが、これ2度のオンパレード、現代人が聴くから洒落て聴こえるんで、古典派の時代なら「あ〜ーーァ!!最後の音間違えた!気持ち悪い(。☉౪ ⊙。)」と、喚かれたに違いないのです。
音楽は古典派の時代からかくのごとく進化を遂げた。これは作曲したり演奏したりする側だけじゃなく、鑑賞する方だって進化しているのです。
終止の和音は純血のⅠだけとは限らない。9番目の音が入ってることもあれば、6番目11番目が入ることもある。
だが、このような終止を取る曲は大抵は大譜表の上にコードネームがついているので参考に致しましょう。