くじゃく漢字で書くと孔雀、漢字のほうがよりゴージャスさが醸し出されている。
くじゃく。自惚れの象徴ともされる美しき鳥(ただし♂鳥だけ)
次に弾く曲の題名は「くじゃく」華やかかつ豪奢な曲に違いないので、こころして極彩色の羽を広げたイメージで弾く。
この題名を新たに与えられた曲。
それはツェルニー30番の14番。
なんだ。と、言わないでくれ、この32分音符の連なりゴージャスだろうが!
レドシミレドシミやドラドミドラドミ(イ長調なのでファドオソがシャープ)があの孔雀の羽の金ピカの目玉みたいな模様に見えないか?
見えない?!
ま、仕方ない。このエチュードはレドシミやドラドミその他の連なりを弾くための無駄な動きのない手首回転、及び輝かしくも長いスケールを如何にギコギコしないで流れるように(そうあたかも孔雀の緑の羽毛!!?の如く)演奏するための練習なのだ。
30の小さな物語下巻、ブルーの可愛らしいツェルニー。
くじゃくが14番、ねずみが18番、カナリアが17番と動物が続く。
ゴージャス、可愛らしい、可憐だが、根はツェルニー30番。
題名からイマジネーションを膨らますことはしても、これが華麗に弾ければソナタだって怖くない。式の指導に行き着いてしまう。
チェルニー30番(下巻) 30の小さな物語 [ カール・チェルニー ]
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本はこれ、何度見ても可愛らしい。
わたし自身、エチュードといえども曲の形式をとっているツェルニーは音楽的に弾くことを考えなければならない。
と教えられて、ではでは音楽とし訴えかけるものを求道して。
と、一応は考えてもやはり、エチュードを上げていくのは音楽的よりスポーツ的達成感。
猛スピードで間違いなく弾くことを目指す\(*⌒0⌒)♪
ノリで頑張り出すと、とまらなくなる。
それでテクニック的に上達するんだからいいじゃないよ。の開き直りでエチュードは練習する。
だが、その開き直りに乗り遅れるとツェルニー30番なんとなく膠着状態に陥る。
くじゃくのようにゴージャスに。ったってツェルニー30番じゃないよ!
と言われれば、アタリ。
さらにテクニック的にツェルニー30番が弾けるくらいまで上達すると、世の中に満ち溢れている魅力的な音楽を演奏する演奏力がかなりのところで身についている。
だもの、ラソファミファミファソの32分音符より、次はこんな曲を弾いてみたい。
弾いてみたけりゃ、厄介な譜読みも難しいパッセージもなんのその。
レパートリーは増えてもエチュードは進まない。
かといって、エチュードを進めるために曲をヤメにしてしばらくはエチュードばかり弾け。
というようなやり方はわたしは嫌いです。
くじゃくの豪奢さをイメージしつつ、やはりエチュードは体育会的頑張りと達成感を目指して、、。
行こうと思う。行かなければならない。