ターニングポイントというものはいくつになってもあるものだ。
わたしもこの年になってあるターニングポイントを迎えた。
今を去ること1ヶ月半、わたしあかいくつ劇場で夏の発表会を行う運び。
に張り切ってアニトラの踊りを練習し暗譜に励んでいた。
だが、この季節野球のシーズン真っ盛り、わたしは独立リーグ、高校野球、プロ野球観戦の予定を立てつつ発表会、ピアノの練習との両立に勤しんでいた。
ところが、今年の7月はじめの暑さを甘く見たわたしは見事に陥穽にはまった。
いきなり暗譜までして仕上げようとして今までにない練習で微熱が出る。
ナニ(’◇’)こんなものは通過儀礼。
ひどい時は38°以上の発熱したことだってあったさ。
この時期すぎれば大丈夫。
だが、それだけなら大事には至らなかった。
大事に至ったのは、微熱ながらも発熱圧して45°にもなるスタジアムに出かけたこと。
普段ならば、暑さには強く頑健な質のわたしは太陽エネルギーと少年や青年(まれに中年)のオーラで元気が出るはずが、、。
今回はまともに熱中症にやられたらしい。
レッスンや発表会の準備はなんとかなるものの、自分の曲の練習にはなかなか手がまわらない。
暗譜は断念して出来る範囲で演奏するしかない。
発表会当日は雨。
うっとおしいし、ピアノのコンデションにはいいとは言い難いが、スタジアムの太陽光線に燻られたあとのわたしに身には恵みの雨であった。
わたし自分の楽譜も含めて、全生徒の楽譜を息子のお下がりのバックパックに詰め込みトートバッグに着替えを詰めて、体力に自信ないのでタクシーであかいくつ劇場へ向かう。
劇場には魔物が住んでいるので、補助電源がわたし入る。
したがって、劇場にいるあいだは猛元気モードになる。
舞台袖で生徒さんたちの弾く曲目の楽譜を並べ、有事にはこの楽譜を、、。
だが、ひとりとして膠着状態になる生徒はおらず。見事楽譜の山は出番なし。
暗譜したくない。希望の生徒は自前楽譜持ってきているので問題なし。
この場合の問題はわたしが譜めくりするかどうか。
今度っから、もう発表会では生徒さんの弾く曲目の楽譜持ち込むのはやめよう。
どうしても暗譜が間に合わない生徒さんはもとから楽譜置いてOKだが、これは自己責任で自前楽譜持ってきてもらうことにする。
わたしが暗譜するの1番下手なのか?
そんなこと言ってられるかって。
わたしは確かに暗譜が苦手で下手。
譜読みは早いほうなのだけれど、楽譜見ながら弾くの長けても楽譜がなくなると、何も覚えていなくなる。
幼少期についた先生はわたしにしつこく譜面を見て弾け。
と躾けた。
これは間違いではない。聞き覚え、及び音符玉見てすぐに手を見て弾いていると手を見ないとピアノが弾けない。
つまり譜読みしながらのある種のブラインドタッチが出来ない。
出来ないと、譜読みの間違いがいつまでも直せない。
複雑な曲になるとたちまち聞き覚え、音符見てもすぐには覚えられずにパニックになる。
という負のスパイラルに陥る。
だから、聞いて暗譜出来るのは特技ではあるのだけれど、弱みにもなるので気をつけましょう。
どうもわたし、譜読みして弾けるようになってそこで満足してしまうのが悪いのだ。
いくら譜読みより暗譜が苦手。と、言っても暗譜はとことん詰めれば出来る。
暗譜で弾く時の嫌な不安感は詰の甘さが原因なのだ。
このような固い決意を揺るがないものとしたのも、、。
わたし、あかいくつ劇場に劇場使用料を精算した帰り。
タクシー代が惜しい、それに涼しいからバスで帰りましょう。
7月上旬より、ぐんと涼しくなった昼下がり山下公園前からのんびりと元町商店街方面に歩いたら、、。
背中が重い。
楽譜は束になると途轍もなく重たい。
このような思いをするのはあの息子がうちの車を持って赴任してしまったせいだ!
いや、暗譜すればいいんだ。
連弾や伴奏は別として、独奏曲は全て暗譜しよう。
そして重たい嵩張る楽譜は持ち歩くのはやめる。
このように熱中症の後遺症でただでさえへばり気味の雨の日の昼下がり。
重い楽譜の山を背負いながら、こうわたしは固く決意をしたのであった。