乙女の祈り

暗譜ができないわたし。でも暗譜できる。英雄ポロネーズのサワリだっていつの間にか暗譜できてたじゃないか!何を隠そうショパンエチュード12番だっていつの間にか半分位は暗譜していた。ははは。

だが、これらの曲はいつの間にか暗譜が出来ないわたしが暗譜してたとて、なにも不思議はない。いくら暗譜が下手でも100回も弾いていれば体は覚えてくれる。つまりは100回も弾かなきゃカッコつかない難曲ならいつの間にか楽譜見なくても弾けるようになる。

ピアノを習い始めた少女たち(稀に少年)が憧れる曲のひとつ乙女の祈り。

わたしも小学生の頃発表会で弾いた。だが、不思議なことに今でもこの曲は最初から最後まで暗譜で弾ける。革命のエチュードに比べりゃ格段に難曲じゃないのだが、暗譜して弾ける。思うにこの曲もらった嬉しさと得意のあまりにリサイタルでもするが如く練習に励んだに違いなく(実はその頃のことはあんまり覚えていない。)要するに練習すれば暗譜はしてしまうのだ。

この憧れの美しき名曲の作曲者はテクラ・バダジェフスカ。女性の作曲です。え〜!ベートーヴェンじゃないの〜??!少女の頃はそう思いました。更にこの名前。バダジェフスカって、4、5回繰り返して言ってやっと覚えました。それに何よりびっくりは女性のクラシック曲の作曲家っていたの?そしてポーランド人です。

この方は、マリー・キュリーのようにローザ・ルクセンブルグのように女性偉人の先駆けなのかいな?と、思って小学校図書館の世界の偉人たちの書籍を当たったが、テクラ・バダジェフスカの名はなかった。やっと得られた情報はなんでも24歳の若さで世を去った。

ところがこれもわたしの思い違い。24歳という年齢は樋口一葉と混同して考えていたから。テクラ・バダジェフスカの没年は1861年ところが生年は1834年か1838年、、。4年も違うんだけれど、、。親が出生届け出し忘れてたのかしらん?なので計算すると23歳もしくは27歳で亡くなっている。

どうもテクラ・バダジェフスカの資料はポーランドにも戦争のため消失してあまり残ってはいないらしい。

更にはこの方、ピアニストとしても作曲家としても一人前のプロとはみなしてもらえなかった。お嬢さん芸にしてはよく出来た子。くらいの、丸ごと舐められた境遇であったそうだ。その検証として、専門的な教育を受けていない。とのことが指摘されたというのだが、多分この言い分は酷い。何故ならこの頃は戦中までの日本の大学が女子の入学を認めていなかった(だから女子大というものを開発したのだ。)と同じく、音楽の専門教育機関は女子の入学認めてなかったんじゃないかと推測する。これはいずれ、正式な検証をしなければならないわ。

クララ・シューマンが1819年〜1896年。テクラ・バダジェフスカが1834年か1838年〜1861年。テクラはクララに比べりゃ圧倒的に若く、このふたりは時代を共有している。だが、クララはピアニストとして活躍し、テクラはお嬢さん芸扱いされている。テクラ、クララよりピアノ下手だったの?もあるかしれないが、それよりこの人女だというハンデに加えてスポンサーやプロデューサー、マネージャーに恵まれなかったんだろうな。それは今でも同じこと。

そしてこの曲はある種の地雷というか踏み絵というかが、仕掛けられているのです。エリーゼのためにが弾けたから、乙女の祈りも!と、願う少女(あるいは少年)の失望!それはオクターブ奏法。ピアノ初心者の方ならお分かりいただけると思うのですが、1オクターブ届くから(*^_^*)と思って弾いても、ヤワなオクターブならどうにか弾けても、この名曲乙女の祈りともなるとこれでもか(・□・;)とばかりにオクターブ連打が出てくるので、手の開き力、指力が培われる以前だと途上で疲弊する。

この1オクターブの羅列にメゲなかった小学生の頃のわたしの得意思うべし!

21世紀になった今、夭逝したテクラの力量は認められ、とても美しい女流ピアニスト、ユリヤ・チャプリーナがバダジェフスカ作品集リリースしています。

(2016年月11月9日)

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